奈良時代と江戸時代の感染症

今週のお題「怖い話」

家から車で数分の場所に奈良時代の遺跡が出た。道路を作るために掘っていたら、奈良時代の住居跡がいくつも発見されたので記録に取る必要があるとの事。珍しい為、地元の教育委員会文化財センターが説明会や見学会を催してくれたので参加してみた。

奈良時代の貧しい農家の住宅で、柱の跡やかまどで火をたいた跡が土の色や形跡から分かるらしい。村の存在があり100件くらいの住居跡が発掘されていたが、今はただの山林である。

何故、この村が消滅したか質問してみた。すると、「奈良時代は大体の村で、感染症に感染して家族全員亡くなる事がよくありました。昔は理由が分からないのと、感染症にうつりたくないからか、怖がられ死後家ごとほったらかしにしておく為、人骨も発見されます。この家も4人家族だったと推測されます。奈良時代感染症の威力はすさまじく、結局村全体に広がり、村ごと消滅していくケースが多かったのです。」との回答。

その時は、「感染症で村が消滅」って言われても理解できなかった。しかし、コロナが蔓延してようやくその意味が理解できた。

令和時代が奈良時代なら、まずクルーズ船の乗客が丸ごと消滅し、院内感染した病院が丸ごと消滅し、夜の街も消滅し、新宿区、世田谷区、港区、沖縄、大阪もかなりの数の街が消滅していたのだろう。そのまま、死体ごと廃虚になるのだ。怖い話である。

江戸時代に感染症が蔓延した代表地といえば吉原。いつの時代も夜の街が感染症の汚染代表地らしい。その時は南千住辺りに大きな穴を掘り、感染症で亡くなった亡骸を穴にどんどん投げ入れ埋めていたらしい。その上に寺を建てて供養したとの事。ひどい場合は道に放っておかれ、獣の餌食になっていた。

本当に感染症は怖い。コロナも医療の進歩があったからなんとかこの数字で抑えられているが、日本の感染症研究や対策はさほど進んでないような気もする。